全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。(マルコによる福音書 十六章十六~十七節)

フランシスコ・ザビエルⅠ

鹿児島カテドラル・ザビエル教会 (鹿児島)

九州新幹線の終点、鹿児島中央駅から海沿いに向かいタクシーで10分程走ると鹿児島カテドラル・ザビエル教会に辿り着く。現在の教会堂はザビエル上陸450年を記念し1999年に建設された。採光を取り入れ、赤青紫に輝くステンドグラスが印象的である。

キリスト教伝来の地 (鹿児島)

鹿児島カテドラル・ザビエル教会と車道を挟んだ対面にあるザビエル公園。1549年、薩摩人ヤジローに案内され、イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸した。ザビエルは島津貴久の許可を得て、鹿児島で日本におけるキリスト教布教の第一歩を踏み出した。ザビエルが天皇からの宣教許可を授かるため京都に連れて行った薩摩人洗礼名ベルナルドは、後にヨーロッパに渡り時のローマ教皇にも謁見を果たした最初の日本人と伝えられる。

ザビエル上陸記念碑 (鹿児島)

ザビエル上陸記念碑は錦江湾に面した祇園之洲公園の一角にある。上陸するザビエル一行を描いたレリーフがある。良く晴れた日には遙か沖合に桜島の雄姿が眺望される。鹿児島シテイビューバス「石橋記念公園前」下車徒歩15分位の所である。

聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂 (平戸)

正式名称は平戸ザビエル記念教会。平戸市街地西側の平戸港を見下ろす丘に立つ。平戸は聖フランシスコ・ザビエルが三度布教に訪れた地である。平戸はイエズス会宣教師によって多くの住民がキリシタンとなり、江戸時代の禁教下に於いても信仰を守り続けた。現在の教会堂は1971に建立。平戸市役所バス停から徒歩5分である。

フランシスコ・ザビエル記念碑 (平戸)

1550年を皮切りに三度平戸を訪れ、領主松浦隆信の許可を得て布教を行ったフランシスコ・ザビエルの来日400年を記念して、1949年に平戸崎方公園の高台に記念碑が建立された。また、平戸港交流広場から松浦資料博物館に向かう平戸歴史の道には片手を挙げたフランシスコ・ザビエルのモニュメントが飾られている。

聖フランシスコ・ザビエル下関上陸の地 (下関)

聖フランシスコ・ザビエル下関上陸の地は下関駅からタクシーで15分位の海岸沿いにある。1550年、フランシスコ・ザビエルは周防の領主、大内義隆に会い布教の許可を得、その後、京都の天皇に謁見する為、この地に上陸した。フランシスコ・ザビエルの来日450周年を記念し建立された。ザビエルの故郷、スペインのハビエル城の石も設置されている。直ぐ横の唐戸市場には下関名物のふぐ料理店が連なる。

山口ザビエル記念聖堂 (山口)

山口ザビエル記念聖堂はJR山口駅から徒歩10分位の所にある。旧聖堂はフランシスコ・サビエルの来訪400年を記念して1951年に建設されたが、1991年に火災により焼失。その後、1998年に現聖堂が再建された。2本の高い塔を背負う旧聖堂とは異なる斬新な形は「水」「光」「テント」をテーマに建築されたと伝えられる。フランシスコ・サビエルに関する資料を中心としたキリスト教関連資料の展示もある。

大分聖フランシスコ・ザビエル像 (大分)

大分府内城の南、遊歩公園の入口に立つフランシスコ・ザビエルのモニュメント。1551年にフランシスコ・ザビエルは豊後の大名、大友宗麟の招きを受け会見した。フランシスコ・ザビエルは大友宗麟の庇護を受け、キリスト教の宣教と共に小学校や大病院を建て、大分府内のに南蛮文化の華を咲かせた。大友宗麟は後にキリシタン大名の代表格となった。