ビア・ドロローサ (イスラエル、エルサレム Israel, Jerusalem)

一日の生活イメージ

ビア・ドロローサ。主イエス・キリストが自ら掛けられることとなる十字架を担いで歩いた道。それはラテン語で「悲しみの道」を意味します。

第六留 (The 6th station) 

また、婦人たちも遠くから見守っていた。その中には、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメがいた。この婦人たちは、イエスがガリラヤにおられたとき、イエスに従って来て世話をしていた人々である。なおそのほかにも、イエスと共にエルサレムへ上って来た婦人たちが大勢いた。(マルコによる福音書十五章四十~四十一節) 

ベロニカの教会 ベロニカが主イエス・キリストの顔をハンカチで拭った場所。ベロニカがこの場所で、主イエス・キリストの御顔をハンカチで拭ったという逸話が伝承されますが、聖書の福音書の記述にはベロニカなる女性は登場しません。しかし、彼女が主イエス・キリストの御顔を拭ったとされるハンカチが聖蹟としてカトリックの大聖堂に保管されています。  

第七留 (The 7th station) 

はっきり言っておく。キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。(マルコによる福音書九章四十一節)  

主イエス・キリストが二度目に躓き倒れた場所。映画「ベンハー」には、ビアドロ・ローサで躓き倒れる主イエス・キリストに、主人公が一杯の水を与えるシーンが登場します。この御言葉のように主人公の家族の病はまったく癒されたのでした。第七留の横には、椅子が一つ置いてあり、誰となく見張りをするかのように人が腰掛けています。


第八留(The 8th station)

民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。人々が、『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来る。そのとき、人々は山に向かっては、/『我々の上に崩れ落ちてくれ』と言い、/丘に向かっては、/『我々を覆ってくれ』と言い始める。『生の木』さえこうされるのなら、『枯れた木』はいったいどうなるのだろうか。」(ルカによる福音書二十三章二十七~三十一節) 

第八留の地点には、聖ハランボス・ギリシャ正教会の修道院が存在します。壁に刻まれた十字架。主イエス・キリストが礫刑にされて後、紀元七十年に、エルサレムで当時の支配者ローマ帝国の圧政に対する大反乱が起こります。エルサレムは強力なローマ軍に包囲され、やがて暴動は鎮圧されました。キリスト教と関係なく起こった事件でしたが、その結果、エルサレム市街は第二神殿もろとも徹底的に破壊し尽くされたのでした。あたかも、主イエス・キリストのこの預言が成就したかの如くでした。

第九留(The 9th station)

ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。(ヨハネによる福音書十九章十九~二十一節) 

ヨーロッパの教会で、イエス・キリストの十字架にしばしば「INRI」と書かれた表札が掲げられているのを見掛けます。これは、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」のラテン語の頭文字を象ったものです。