ビア・ドロローサ (イスラエル、エルサレム Israel, Jerusalem)

一日の生活イメージ

ビア・ドロローサ。主イエス・キリストが自ら掛けられることとなる十字架を担いで歩いた道。それはラテン語で「悲しみの道」を意味します。

第一留(The 1st station)

そこでピラトはイエスに言った、「それでは、あなたは王なのだな」。イエスは答えられた、「あなたの言うとおり、わたしは王である。わたしは真理についてあかしをするために生れ、また、そのためにこの世にきたのである。だれでも真理につく者は、わたしの声に耳を傾ける」 ピラトはイエスに言った、「真理とは何か」(ヨハネによる福音書十八章三十七~三十八節)

主イエス・キリストはここで裁判に掛けられました。イエス・キリストがポンティア・ピラトのもと裁判を受けたアントニア要塞のあった場所は、現在は、エル・オマリヤ・スクールというアラブ人の学校になっています。ビア・ドロローサを保存する国際プロジェクトのレリーフには、主イエス・キリストの歩んだ道程が描写されています。

第二留(The 2nd station)

群衆はまた叫んだ。「十字架につけろ。」ピラトは言った。「いったいどんな悪事を働いたというのか。」群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び立てた。ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。(マルコによる福音書十五章十三~十五節)  

鞭打ちの教会 主イエス・キリストはここで鞭打たれました。イエス・キリストが鞭打たれた場所には、教会が設立されています。世界中からの観光客が絶えません。教会内部の祭壇の後ろには、十字架に掛けられた主イエス・キリストのステンドグラスが美しく飾られています。 

第三留(The 3rd station)

兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを引いて行き、部隊の全員を呼び集めた。そして、イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、「ユダヤ人の王、万歳」と言って敬礼し始めた。また何度も、葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした。このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。(マルコによる福音書十五章十六~二十節) 

主イエス・キリストが十字架の重さに耐えかねて最初に躓いた場所。第三留はアルメニア正教会になっています。入り口の扉の上には十字架の重さに耐えかねて躓く主イエス・キリストのレリーフが。第三留はダマスカス門へと続くエルサレム市内のメインストリートの一つに面しています。    

第四留(The 4th station)

イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。(ヨハネによる福音書十九章十七節) 

マリアの教会 母マリアが十字架を背負った主イエス・キリストを見た場所。 第四留のマリアの教会は第三留のアルメニア正教会の直ぐ隣にあります。マリア教会の中庭に、レンガ造りの聖堂が垣間見えます。   

第五留(The 5th station)

兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた。(マタイによる福音書二十七章三十二節)  

クレネ人シモンが主イエス・キリストに代わって十字架を背負わされた場所。第五留はエルサレム旧市街の城壁を南北に貫くAl-Wadストリートから、聖墳墓教会が建つゴルゴタの丘に向かう石畳の上り坂の道へと曲がるちょうど角の地点にあります。第五留の標識の横には”VIA DOLOROSA”の表示が。主イエス・キリストが手を衝いたとされる跡では、通り過ぎる人達が自分の掌を当てて記念写真を取ります。